その6・荒萩【あらはぎ】は生きている(小字から見る合併問題)

足利市(栃木県)の位置図

多くの道路地図には、住居表示に使われていなくても、国道50号線の瑞穂野町信号以南の集落に「荒萩」と書かれ
ているはずです。(1:10万縮尺なら確実?)その集落から南に矢場川の支流である姥川周辺に中日向があるが、
本家(?)日向【ひなた】は隣の館林市にあります。なぜかというと、明治初期の栃木県は南西部に群馬県邑楽郡他
が含まれていたからです。

それはさておき、「荒萩」は西暦1500年頃から存在し、かつては「新萩」と表記されていました。天正2(1574)年に村
の記録する役割を持つ万福寺が火災に遭い、「新萩」の起源がいつなのか謎になってしまいました。
その後の享保11(1726)年に当時の領主が「荒れ地ではないか…。」と指摘したのか、「新萩」を「荒萩」と改名し
ました。私はこの事を「享保のアラハギ改革」だと感じました。

時が流れて、明治7(1874)年に江戸時代から続いた荒萩村と日向村が合併して「瑞穂野村」が施行すると、「荒萩」
は大字扱いでした。明治22(1889)年に野田・久保田・瑞穂野の3村が合併して「久野村」が施行すると、「荒萩」は
字扱いになりました。

昭和初期の東武鉄道の敷設問題(現在、旧・筑波村を通じている)や、昭和26年に完成した三栗谷用水(僅かに
足尾の鉱毒が含まれている水を無害化するため)が5町村をまたにかけ、莫大な費用をかけたのか昭和30(1955)
年に御厨郡久野村と筑波村が御厨町に吸収合併しました。既に「荒萩」は小字扱いだが、御厨町は実に短命で
施行して7年目に足利市に吸収合併してしまいます。この頃住居表示から「荒萩」は姿を消し、地図には残るが
「一丁目」「二丁目」と整理されてしまいました。
「新萩」時代から数えて2004年に430年を迎え(異説あり?)、「荒萩」へ改名から数えて2006年で280年を迎える
ので、日本の首都・東京より古い地名だと感じました。(「東京」自体は1868年に「江戸」を改名し、2008年に140年
になる)つまり、「荒萩」へ改名300周年を迎えるのは、平成38(2026)年です。
実は、足利市内で最も古い地名は「葉鹿」で、8世紀から存在しているそうです。
日本一古い地名はどこだろうか―。

1574〜1874年の歴史は、祖父の形見の年表から調べました。それ以降は、出身小学校の文集等で調べました。
私(ことねっち)は、1997年9月に初の足利市民キャラ・小泉葉鹿を作り、1999年に母が「あらはぎちゃんを作って」
とリクエスト(してないと母談)をもらって、2000年3月に吉江新萩を作りました。1998年秋に羽刈【はかり】町の同級
生が「はかりちゃんを作って」とリクエストされたので、2000年に内澤羽刈を作ったり…。
キャラクター化した地点でも言える。「新萩」は生きている。






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