悲しき廃止路線・両毛線富田駅より〜『赤見軽便鉄道』

秀萩とサチ
『出流原線ロマネスク』に登場する吉江秀萩【ひではぎ】と妻のサチ
(作中では、「イ チ」という名前にして突っ込まれているので…)

←赤見軽便鉄道の位置図

 赤字の駅名=赤見軽便鉄道線(現廃止)
 緑字の駅名=東武宇都宮線
 藍字の駅名=東武伊勢崎線、東武佐野線
 黒字の駅名=JR両毛線


そもそも、赤見軽便鉄道とは?
←これが昔、足利市に実在した赤見軽便鉄道の路線図です。
石灰と旅客営業を一手に担う鉄道路線です。駅跡地の標識があると思うが、稲岡と出流原
【いづるはら】の駅舎は現存しないとか。
営業距離は6.6q、料金は9銭。(現在の200円相当か?)富田〜稲岡間が4銭5厘で、稲岡〜
出流原間が5銭だったかもしれない。貨物駅として寺久保駅があれば、石灰の輸送のため
大いに役立ったはず。大正4(1915)年開業、昭和2(1927)年廃止。
地元の出流原村(現佐野市)民が「出流原線」と呼んでいたに違いない。



←これが私の想像した出流原線です。途中駅のうち、西場【にしば】と赤見は私の
フィクションとして考えた駅です。初乗り料金は、3銭くらいだったりして…。




  赤見軽便鉄道の始発駅があった富田村(当時)の歴史
明治23(1889)年に駒場・稲岡・多田木・奥戸・西場・迫間【はさま】の7村が合併して、富田村が
施行された。その前年に両毛鉄道(現JR両毛線)が通じていて、11月には桐生へ延伸された。
村を施行して4年目の明治27(1893)年に富田駅が開業して、村制22年目に赤見軽便鉄道が
開業して、34年目に廃止されるという意外と短命な鉄道路線だった。
(12年間だけ富田駅が小さなターミナル駅だった時期が存在したという事になるか…。)
村役場は、駅の近辺にあったのだろうか。
昭和34(1959)年で足利市に合併するまで、現在の佐野市吾妻【あづま】地区にあたる吾妻村と
かなりもめました。村制は結局70年で終わった。そして、今は足利市に合併して50年目になる。
(2009年7月時点)もし、富田村が続いていたら村制122年である。(2011年12月現在)
旧村のランドマークである大小山は、戦前から「大小」の字があります。


  赤見軽便鉄道の終着駅があった佐野市赤見地区の歴史
佐野市の「赤見地区」とは、出流原町・寺久保町・赤見町にあたる地域である。全ての町名は
旧村名に由来し、昭和30年代後半に佐野市に合併した。(ほとんどが元安蘇郡)
出流原弁天池の近くは小字磯山である。(住居表示には出てこない。)その近くに汽車が走る
喫茶店と商業科メインの高校があるが、もし赤見軽便鉄道線が廃止にされなければ、高校生
の通学に便利だったのに…といいたい所が、時代の流れが悲しすぎる。


2002年秋に赤見軽便鉄道を舞台にした漫画『出流原線ロマネスク』を描いたので、近日「漫画その他の
ダウンロードページ」か「自作漫画」あたりで公開予定かも?





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